私と「いのちの授業」
私は、元々は地元の会社に勤めるサラリーマンでした。
社内結婚した妻と二人の子どもと、どこにでもいる普通の家族として暮らしていました。
突然、人生のまさかが襲いました。
長女・景子が小児がんを発病したのです。景子三歳、私は三十四歳でした。
人生の当たり前が崩れました。
子どもは成長する存在から、死ぬかもしれない存在に。
一緒に暮らす家族はバラバラに。
働き盛りの仕事は、闘病と育児のやり繰りの毎日に。
景子は、約三年間闘病して亡くなりました。必死の祈りも叶わずに…。
いのち、死ぬ、生きる、家族、働く、良き医療、幸せ、運命とは何だろうか。
苦悩と涙の中で、何回も何回もそう思いました。
十年後、何のあてもなく会社を早期退職して「いのちの授業」を始めました。
景子が遺してくれた「いのちのメッセージ」をバトンタッチしよう、ただそれだけの思いです。四十七歳でした。
超零細一人稼業になって、人生の情景も随分と変わりました。
たくさんの「いのちの体験と出逢い」が積み重なりました。
そして、「生きる」が一本の糸として紡がれていきました。
いのちに思いをはせて、自分の生き方・働き方をみつめてみよう。
本当に大切なことに気づき、幸せになるためのヒントがきっとある―。
亡き娘、そして、たくさんの方から「いのちの思い」を託されました。
その思いを、「いのちの授業」を通じてバトンタッチさせていただきたいと願います。
いのちの授業の15年の思いを講演録(「いのちびと」31号)にまとめています。ぜひご覧ください。
「いのちの授業」の思い
人生とは、「いのちの旅」をする―ことです。
みんな、生まれて、生きて、死んでいきます。
たくさんの人と関わりながら、いのちに向き合います。
そして、ときに涙を流しながら、いのちへの思いを重ねます。
いのちとは、何だろうか?
家族とは、何だろうか?
どう生きたら、よいのだろうか?
答えは、直ぐには見つかりません、一つだけでもありません。
でも確かなことがあります。
いのちへの思いを重ねてこそ、本当に大切なことに気づき、幸せになれるのです。
それが、「いのちの旅」です。
さあ、「いのちの旅」を始めよう。
ゆっくりでいい、転んでもいい、迷ってもいい。
その一歩一歩が、きっと、生きる力になってくれます。
みんなで心を一つにして、「いのち」をみつめてみませんか。
あなたと、あなたの大切な人に、いのちの思いをバトンタッチさせてください。
「いのちの授業」で届けたい「いのちのメッセージ」
いのちのバトンタッチ
愛されている「いのち」
限りある「いのち」
かけがえのない「いのち」
つながっている「いのち」
生かされている「いのち」
大切な自分の「いのち」、大切な仲間の「いのち」
当たり前にある「いのち」は、「きせき」なんだよ
むだな「いのち」なんて、ひとつもないんだよ
だから「生きる」んだ
生き抜く、支え合う、ありがとう、笑顔を大切にしよう
限りある命をどう使うかを問いかけよう
絶対、親より早く死んではいけない!
だいじょうぶ
きっと、幸せになれるから
「絶対、親より早く死んではいけない」の思い
ある小学校で、いのちの授業をしました。
景子のことを話したあと、子どもたちに感じたことをインタビューします。
一人の男の子にマイクを向けると、緊張したのでしょうか、突然、泣き出してしまったのです。
ずっと涙が止まりません。「とっても感動したんだよね」と、先生が話しかけます。
男の子は、「うん」とうなづいて、先生に抱きつきます。感情豊かな子だと、私は思いました。
二週間後、子どもたちの感想文が届きました。ある感想文に先生のメモが添えられています。
この子は、授業で泣いてしまった子です。6年生ですが、ほとんど漢字を書けません。
いつも無口なので、何を考えているかと心配していました。
この子の気持ちを知って胸が熱くなりました。
職員室で話すと、みんなが涙を流しました。
平仮名ばかりの感想文です。読み終えたとき、私も涙がこぼれました…。
おやこうこうしようとおもっても、ぼくは なんのとりえもありません。
かあさんととうさんに いつもめいわくをかけています。
なにかないかとかんがえたら かあさんととうさんよりも はやくしなない
にしました。だから ぼくはがんばっていきていこうとおもいました。
この子は、たとえ漢字は書けなくとも、とても大切なことを心に刻んでくれました。
親より早く死なない! 生きよう!と。
なぜでしょうか。
この子を愛してくれた、支えてくれた、お父さん、お母さん、先生、大人がいたからです。
親より早く死んではいけない
それは、いのちを大切にする思いが一つに凝縮されたものです。
そう実感できるとき、子どもの心には確かな思いが芽吹いています。
自分が「愛されている」「支えられている」
家族と「つながっている」
いのちは「かけがえがない」
いのちには「限りがある」
これこそが、「いのちの実感です」
いのちを大切にするとは、この感性を育むことではないでしょうか。
「愛されている」「支えられている」「つながっている」「かけがえがない」「限りがある」。
そのことを、あなたの思いとともに子どもに語ってあげてください。
きっと、子どもの心に感じてくれます。
「限りある命を、どう使うか」
東日本大震災の被災地での講演会に伺いました。
生命保険関係の会です。講演後、その代表の方が涙を流しながら言われます。
あの震災で、仲間がたくさん死にました。
でも僅かしか、保険を払えませんでした。もちろん、お金で命は救えません。
でも、せめてお金があれば、遺された人の生活は再建できたはずです。
なぜ、もっと必死で保険を勧めなかったのか、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今、その方は、必死で保険を勧めています。
あなたの仕事は何ですか?
以前のその方は、「保険を売っています」。
今のその方は、「いのちを支え守る仕事をしています」と答えられるでしょう。
私たちは、全て「いのちを支え守る仕事」をしているのです。
食品・農業は、食で命を育みます。
建設業は、社会の生命財産を守ります。
流通・小売り業は、生活の営みを支えます。
金融・製造業は、そのサービスと製品を通じて社会に貢献します。
行政・医療介護は、いのちのセーフティーネットです。
教育は、いのちを育みます。
その一つが欠けても、いのちを支え守ることはできません。
モチベーション、それは誰かが高めてくれるものではありません。
自分で自分の仕事をどう意味づけるか、それで決まるのです。
「使命」。「命」を「使」うと記します。
限りある自分の命をどう使うか。
そう問いかけてこそ、本当の「使命」が芽吹くのです。
ぜひ、いのちに向き合い、問いかけてください。
きっと、あなたの心の根っこを深めてくれます。
「いのちのバトンタッチ」の思い
いのちのバトンタッチは、いのちの授業のテーマであり、会の名称です。
実は、その命名の原点は青木新門さんです。
青木さんは、映画「おくりびと」のモデルと言われる方で、ベストセラー「納棺夫日記」の著者です。
2000年頃、私は、長女・景子の死をどう意味あるものにするかを求めていました。
そんなとき、青木さんとの出会いがありました。東京・早稲田の喫茶店で、小さな囲む会。
私が子どもを亡くしたことをお話しすると、ある詩を詠んでくれました。
いのちのバトンタッチ
人は必ず死ぬから、いのちのバトンタッチがあるのです
死に臨んで先逝く人が「ありがとう」といえば
残る人が「ありがとう」と応える
そんな一瞬のバトンタッチがあるのです
死から目をそむけている人は、見そこなうかもしれないが
そんないのちのバトンタッチがあるのです
「景子が、いのちのメッセージを遺してくれている。いのちのバトンを託してくれている。それを、私の体験として語ることでバトンタッチしていこう」。
それが「いのちの授業」のはじまりです。
2005年、会社を早期退職して「いのちの授業」の活動を始めました。
会の名称に、「いのちのバトンタッチ」の思いを込めたい旨を青木さんにお願いしました。
青木さんから「どうぞどうぞ、喜んで」とのエールをただきました。
そして、「いのちをバトンタッチする会」と命名しました。
みんな、託し託された「いのちのバトン」があります。
自分の体験と思いを、「いのちのメッセージ」として、自分の言葉で語り継いで参ります。
「いのちのつながり」の思い
「景子ちゃんに会えた気がする人は、手を挙げてください」いのちの授業の最後に、この質問をします。
子どもも、おとなも、たくさんの人が手を挙げてくれます。
そんなとき、つぎのようにお話しします。
私たちは、生きていく中で、大切な人を必ず亡くします。
死んだ人とは、会うことも話すことも絶対にできません。
しかし、その人に会えたような気がすることがあります。それは、なぜでしょうか。
いのちには、体のいのちと心のいのちがあるからです。
体のいのちはいつか終わります。
しかし、心のいのちは、思いとなって永遠につながっていくのです。
いのちを大切にするとは、体のいのちは健康を保つこと、心のいのちは、強い思いを抱き行動することです。
*単行本「6歳のお嫁さん」より
「いっしょに」の思い
みんなにとって・・・
大切なものって・・・なに?
本当の「ワタシ」って?
本当の「トモダチ」って?
あたりまえにある「いのち」は、きせきなんだよ、
ひとつもむだな「いのち」なんてないんだよ。
だから「いきる」んだ。
ひとつしかないこの「ちきゅう」で
いっしょに「わらって」
いっしょに「あるいて」
いっしょに「いきる」ひとつしかないこの「ちきゅう」で
いっしょに「あいして」
いっしょに「そだてて」
いっしょに「いきる」このちきゅうで「いきる」いのちあふれる地球
*「いのちの授業」の映像挿入メッセージより